定期的に見る映画の一つ、
桐島は高校バレー部のキャプテンで人気者、彼が突然部活をやめると言い出す。
そして、彼の友達、彼女、バレー部、周りの子達に変化が訪れる…
ってのが、大筋の話。
ちなみに、劇中に桐島は出てきません。
今日はこの中の菊池宏樹に焦点を当ててみたいと思う。
そう、最近世の中を騒がせまくっているあの人が演じている役です。
ちなみにこの映画をきっかけに、モデルから芝居の仕事に踏み出したそうです。
昨今大根役者がどうこうという文章も見るけど、この映画に関してはその虚無感を大根演技とやらで存分に発揮しているぞ。
宏樹が最初のほうで言い放つ恐るべきセリフ、「だから結局、できる奴は何でもできるし、できない奴は何にもできないって話だろ」
帰宅部仲間ですら「それ、できる側だから言えるんだぞ」と言う。
宏樹はバスケやってもサッカーやってもうまいし、キャプテンから「練習来なくても試合には来てほしい」と言われるくらいだからおそらく野球もうまい。かっこよくて背も高く女の子のファンも多い。たぶん勉強もできる。
なのに、全編通して「心ここにあらず」な感じ。なんでもできるけど、心の底から楽しくない感じ。友だちと遊んでいるのは楽しいけど、心の底からは…
野球部のキャプテンは3年生。普通は夏が終われば引退するのに部に残って野球をやる。夜帰宅後も、素振りをしたりランニングしたりと野球漬け。
一度宏樹が帰宅中に、キャプテンが素振りしてるところに出くわすが、見つかるまいと身を隠そうとする場面がある。
翌日のシーンで、なぜ引退しないのか聞いた。嫌味ではなく単純に疑問として。
キャプテン「ドラフトが終わるまでは…」
もちろんスカウトは来ていない。おそらく本人もわかっている。
全く理解できない宏樹を見て「悪い、行くわそろそろ」と去るキャプテン。
野球が好きで好きで、一生懸命に打ち込んでいる。その相手に、恥ずかしくて顔向けできない。思い切って聞いたら「え?そんな理由?」といったところか。
時間的にその直後、屋上で映画部の前田に8mmカメラを通してインタビューするシーン。
「将来は映画監督ですか?」どうかなぁ…
「女優と結婚ですか?」えー、いやぁ…ってやり取りなのに
「アカデミー賞ですか?」と聞いた途端、前田の表情が真剣になる。
それはないかな。映画監督は、無理。
その後、なのになぜ映画を撮るのか、を楽しそうに宏樹に対して語る前田。
カメラを手に取り宏樹を撮る前田。「かっこいいね、かっこいい」
そのカメラの中で、宏樹が初めて自分の感情を出す。
キャプテンの野球も前田の映画もやりたいからやっているだけ。
才能とか将来なんて関係ない。考えてすらいない。
この、「好きなこと、やりたいことがわからない」ということの不幸さ、苦しさ、それを全て物語っているこの表情。見た目の良さなんか遠く及ばない大切なこと。気づいてはいるけど見て見ぬ振りをし続けた正にそこを、何のてらいもなく口にする二人を見て宏樹は思いつめてしまう。
最後、初めて宏樹が桐島に電話をかける場面が描かれる。そこで映画は終わる。
以下、俺の想像。
宏樹はおそらく電話で桐島にまた野球をやることを伝えるのだと思う。
野球が心から好きなのかはわからない。でも、自分を必要としてくれる人がいる、そこで夢中になれるほどやってみる。そう決断したのではないだろうか。
なぜなら、桐島もきっと宏樹と同じことで悩んでいて、バレーをやめることで違う何かを見つけるつもりなのかもしれないし、見つけられると思っているのかもしれない。
宏樹は、それでは何も変わらないということを知っている。それを伝えるために電話をした、と考えられないか。
キャプテンの劇中最後のセリフ「勝てる気するんだ、次は」これが意味することとともに。 エンドロール、宏樹だけ部活の所属が( )のままだったじゃないか。帰宅部から変わるんだよ、エンドロールのあとに。
前田が映画部の中のセリフに書いたもの。
「戦おう、ここが俺達の世界だ。俺達はこの世界で生きていかなければならないのだ」
平和だ何だ言いながら、結局は何かと戦い続けるのが世界であり、生きていくことそのものである。
この映画の中では、好きな事、夢中になれる事を持つということで生きていくのも大変なこの世界で戦うことができる、と。
前田とキャプテンは戦える。
宏樹は、どうする。
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以下、余談(私事)。
前のブログを10年以上続けて、ちょうど結婚を意識していた彼女と付き合ってから更新が滞り始め、別れてからほどなくして更新を止め、このブログを新たな気持ちで始めた。
それまでの自分と同じ気持ちというか、思いを伝えることの無力さを痛感した後だからブログそのものを新しくしたかった。
ブログが多くの人に見られるのを願ってやまないとか、このブログから添付し始めた
アフィリエイトで稼ぐとか、そんなことは二の次。
もっと言うと、昔留学していたアメリカから帰国することを決めたきっかけも「物書き」になりたかったから。できれば大好きな音楽で、外国の学校よりも日本の専門学校で。いわゆるライターなんだけど、物書きという表現にこだわって。
自分を表現するのに、役者などで演じることと、物書きなどで表すこと。選んだのが後者だったというだけ。
今の仕事がなんだかんだ続けられている理由だって、報告書、議事録やマニュアルなどの作成で「書く」こと、しかも読まれる前提のものを任される機会が多いからなんだ、と気づいた。
他人が見れば芝居じみて自分に酔ってる内容と思われてるんだろう。
知ってる、読むに耐えない内容のブログだって。今日に限らず。
前のブログで「気持ち悪いですよ」とだけ書かれたコメントのときも今日みたいな感情に任せてなぐり書きしてた。
でもようやく、これを書きながら気づいた。
文章を書くことって、楽しい。
ムカつくことだって冷静になれば、全部物書きのネタ。そう思うと嫌な思いも悪くない、なんて思えるだろうか。外に出れば何が起こるかわからないことだらけだし。
くだらなすぎるから日記に書け。
ネットに晒すな。
ごもっとも。
だけど、俺だって他人の書いた記事に救われた事がある。
友達の書いたブログにも影響は受け続けた。今はもう誰も更新しなくなっちゃったけど。
いつか一人でもいいから誰かに届いて、救われるようなことがあるのなら。そう思うとブログにしたい。もう少しテーマを絞るのか、書き方を変えるのか。やり方はあるだろうけど。
今はとにかく、毎日更新する。ホリエモンの言う「量が質を作る」ってのはあると思う。ものすごい文章がある日突然とか時間をかければ書けるようになるとは思えない。拙くても書き続けることによって、いつか突然、奇跡の一文、一行みたいのが出れば…俺が救われたあの日あの時の文章たちに近づけた!ってことなのかな。
(個人的に今日の記事はそれに近いものと思っている)
俺だって物書きとしてまだ無意識のうちにドラフト待ってたんだよ!!
以上、今回「桐島、部活やめるってよ」を見て思ったことでした。
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特典ディスクも十分すぎるほど楽しめるぞマジでこれは。
特に、宮部実果のスピンオフを見ると、映画の中の少し説明不足気味というか、謎に包まれた部分のある実果にまた違う思い入れができる。
また、フェイクインタビューで役者が役柄になってインタビューに答えるところはなかなか考えさせられる。特に一番最後。ほんと、「学校は世界だ」なんて字幕最後に出すんじゃねーよ。恐ろしすぎるんだよ、このインタビューも。学校の話に収まらねーよ。
今のところ、オールタイム・ベストの映画です。
最後にモーガン・フリーマンがヘミングウェイを引用して言っていた。
「この世は最高だ
戦う価値がある…後段には賛成だ」
25年前の映画でも同じことを言っているじゃないか。
主題歌。ギター一本で歌う桐島バージョンの方が強く残ります。