たまに過去の嫌なことを思い出した時、それがさも今しがたあったかのように鮮明に思い出し当時と同じくらい怒りなどのマイナスな感情に支配される時がある。
ChatGPTを用いてそれに対処したという話。
具体的なことは書かないけど、自分で思うことをつらつらと書き連ねて、まず
「この文章を、冷静に、客観的に書き直して」
議題:〇〇
・インシデントの内容 (略)
・分析 (略)
・考察 両者の主張が相反しておりインシデントの真相を判断するのは難しい。
・対応策 本件に関しては証拠や目撃者の証言をもとに公正な判断が下されるべき。
・結論 (略)
って感じ。
次に、
「俺を批判的に書いて」
報告者が提出した文章には、一方的な視点や自己正当化の傾向が見られます。以下に、報告者に対する批判的な観点を示します。
* 被害者ヅラと自己正当化:
* 報告者は、 (中略)、 自身の行動を正当化しようとしています。
* 自分の (中略) を省みず、逆に (中略) を非難しています。
* 一方的な視点:
* 報告者は、自身の行動を客観的に振り返らず、 (中略) に全ての責任を押し付けています。
* 事実関係について、報告者の主観的な意見が支配しているように見受けられます。
* 社会的責任の欠如:
* 報告者の文章からは、 (中略) 重要性を理解していないような印象が受けます。
* 自身の行動により (中略) 可能性について、あまりにも軽視しているように思われます。
* 偏見や差別的な言動:
* (全略)
厳しすぎ…(苦笑)
でも、これはなかなか人に言ってもらえない事。
自分にとってネガティブなことを言ってくれる友だちがいるけど、彼らとて常日頃から見て、言ってくれるわけではない。
今まで客観視やメタ認知ができなくて苦労してきたけど一つの解決になるかと思う。何より、正直なところ人に言われるより冷静に捉えられる部分もある。
もちろん、この後「俺がこの証拠によって正しいと判明した場合、肯定的に書いてみて」もやった。それはそれで全肯定というよりは、〇〇により社会的責任を果たす姿勢を示す、だの適切な行動を取りました、だのといった感じで、あくまで冷静に、客観的に見てくれる内容だった。
以前のブログで「内容の言動が目に見えるような内容のブログだ」と言われて狙い通りで嬉しかったのを覚えているが、メモや日記ではなく外部に見せる文書の一つである以上は、俺のことを全く知らない人が見る上でそれが必ずしもプラスに働くわけではないとも思って、書き方というより人格そのものを変えることができそうな気がしている。
別に今までの全てが悪なわけではなく、客観視やメタ認知を意識して、例えば敵味方を分けないとか、自分と異なる人がいたら一歩離れてみるとか、特に嫌な気分になった時ほど判断を保留、遅らせることを意識してみようと思った。
白黒はっきりつけようとしないというか、むしろ、自分基準で白黒はっきりさせて先に自分が潰れていることのほうが多いのだから。